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中国「四川大地震」4年後の復興まちづくりを見て――強い政府の強力な復興支援・観光遺跡として再生

  【2012-05-12:大越 武】 日本不動産学会主催の海外テーマ視察「中国・四川省大地震後の復興まちづくり事情の視察」に、4月20日から25日まで出かけた。「東日本大震災」による「がれき」処理が、丸1年たった今もなお、10%も進んでいない呆れた日本の現状と比べ、アッという間に跡形もなく片づけてしまう中国のこと、ちょうど4年前(2008年5月12日14時28分)に発生した「四川大地震」後の復興まちづくりは今、どうなっているのだろうか、日本の参考になるようなことが学べるのだろうか、といったやじ馬興味を持って、つぶさに見てきた。
四川大地震1
【写真1】地震による崩壊現場が、そのまま観光遺跡に。正面の門構えには、「深切悼念四川ブン(サンズイに文)川特大地震遭難同胞」の文字が刻まれている。

 省都・成都から、震源地の少数民族部落・映秀鎮へ

 パンダの古里・四川省の省都は成都市。その昔は、三国志の舞台で劉備・諸葛孔明らが建国した蜀の都として栄え、今も人口1,100万人の大都会だ。中心部の交通渋滞は激しく、地下鉄工事も4年後開通予定で急ピッチで進められていた。麻婆(マーボー)豆腐の元祖の地としても知られるが、地元のガイド嬢の説明によれば、「四川料理は辛いので有名だが、なかでも一番辛いのは、四川の女の子」だそうだ。「料理は男がつくり、女はしない。女はマージャンばかりで、貯金もしない。すべて、食に使ってしまう。気も強いので、日本の男のお嫁さんにはしてもらえないでしょうね」―そういえば、泊まったホテルの1室では、ドアを開けっ放しで一晩中、マージャンをしていたのにはまいった。

 そういう土地柄のここ成都から、四川大地震の震源地・チャン(羌)族自治州ブン川県映秀鎮までは、約100kmと、意外と近いところにあった。成都から西の方、まず60kmの高速道路が尽きる地点に、世界文化遺産として名高い紀元前につくられた「都江堰」があり、そこを過ぎると急な山道に入り、大きな山が直角にそびえ立つほどの急峻な山が連なり、ほどなく山間の小さな盆地が開けてきた。周りの山々は、地震で大きくえぐられて崩れ落ち、無残な山肌を見せていた。そこが震源地の映秀鎮だ。ここから先は一路、世界の秘境として名高い「黄龍」「九塞溝」へと続く。

崩壊した建築物をそのまま保存し、観光客が続々と

 映秀鎮は7つの村落からなり、震災前の人口は1万2,000人。震災で、行方不明を入れた死者が6,000人と半減してしまい、うち300人が子どもの犠牲者という。四川大地震(マグニチュード8.0)全体の被害状況は、死者6万9,000人、行方不明者1万8,000人の合計8万7,000人。最も痛ましい学校校舎倒壊による生徒の死者・行方不明者は、2万人に上るという。この4年間の復興費用は、東日本大震災の現在までの復興予算規模とあまり変わらない21兆円で、復興事業はあらかた完了しているという。

 復興した街の中心部には、大きな門構えの入口に、「深切悼念四川ブン(サンズイに文)川特大地震遭難同胞」と大書してある「震災記念遺跡」の広い施設が出来上がっていた。中に1歩足を踏み入れると、正面には地震発生時刻が刻まれた石の時計と、その後ろには斜め前に大きく崩れ落ちた現物のコンクリート建造物が、そのまんま保存されており、それをバックにしての追悼記念セレモニーができるメモリアル遺跡となっている。大きなバスが到着しては降りてくる観光客が、一団となって続々と入場してくる。ここは紛れもなく観光遺跡として再生した見学コースともなっているのである。

震災遺跡の下には、未だ行方不明の遺体が眠っている

 施設の奥に入ると、さらに粉々に崩落したコンクリート校舎の建物や、1階部分がすべてペシャンコになっているむき出しの折れ曲った鉄筋コンクリートの校舎等が連なり、地震の爪あとの悲惨な現実を見せつけている。カラフルな少数民族衣装を着たチャン族の女性説明員が、涙ながらに「第七一映秀中学校の生徒1,527人のうち43人が死亡・行方不明、教員も8人が亡くなった。その幾人かは、まだその建物の中に行方不明者となって残っている」と説明しているのを聞いて、ただ茫然と立ち尽くした。東日本大震災での、石巻の大川小学校の生徒108人のうち74人もが死亡・行方不明という悲劇も涙を誘うが、中国では生徒が発掘もされずにそのまま取り残され、観光見物者にその建物がさらされているとは、日本ではとても考えられないことだ。
四川大地震2
【写真2】5階建て校舎の1階がすべて潰れてしまい4階建てとなり、右隣りの崩落した校舎の中には、生徒の遺体が埋もれている。

 東日本大震災でも、コンクリート建物の屋上に、すっぽり乗り上げている大型漁船の無残な姿が生々しく、津波被害の恐ろしさをシンボリックに表現していたが、地元では見るに忍びないとして、撤去されてしまった。中国のように後世のための教訓にというのか、党中央の強い指導力による震災復興の一環なのか、お国柄の違いといえばそれまでだが、日本と中国とでは、こうも違う。

「これからは自分らの手で、わが古里を立て直していく」

 さらに別棟には、青少年教育センターとして、「震災資料館」がつくられており、四川大地震と同じ規模の地震体験コーナーや、震災前・震災中・震災後の写真やビデオ上映、救助・復旧・復興の歩み、党中央政府の絶大なてこ入れ支援、全国の各省政府や各県・各市からの公的復興支援の数々が展示されている。ここ映秀鎮には、特に重点的に復興資金が中央政府や党から投入され、地方政府の豊かな広東省と東莞市からも多大な援助があったという。

 最後に、資料館センター部長らと、復興まちづくりのビデオ上映による質疑応答の交流を深めた。今後の復興課題についての質問には、先のチャン族の女性説明員が、「(これだけの手厚い公助を受けたので)これからは自分らの手で、この古里を立て直していきたい」と、自助・自立の素晴らしい決意を表明したのが、印象に残った。

 護岸工事が完成したばかりの川の両岸の低地には、すべて新街区住宅として新しい街が復興されていたが、山の高台の安全地帯にも100戸ほどが移住して、タウンハウス風のニュータウンが建設されていた。新居の中に入れてもらったが、平均的住宅は鉄骨造2階建て90平方メートルで、寝室2つ。スケルトン(家の骨格)のみで、価格は2万元だそうだが、本人負担はわずか10%と手厚く公的補助がされている。
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【写真3】河川も橋も公園も整備され、両岸の新市街地もすべて新しい建築物に復興した震源地の映秀鎮。

 昼どき、村人の還暦パーティーが開かれていたが、還暦になると国から600元が支給されると、人懐っこく喜んでいた。街の中央には小さい運動公園、そしてわれわれ視察団一行らの観光視察客を迎える「料飲食店街」も、会社組織としてつくられており、地元の民族衣装で揃えたチャン族女性が笑顔でサービスに勤めていた。
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【写真4】少数民族・チャン族の高台にも新しい住宅が建設され、その中心地に民族色豊かな「料飲食店街」が誕生している。

中央政府の素早い復興と比べ、がれきの山のわが日本は

 われわれの一行に随行した中国の教授は、「中国は政府が強くて、人民が弱い。日本はその逆で、政府が弱い」と解説していたが、確かにこの震源地での復旧・復興のまちづくりを見てみると、中国は強大な中央政府の力で、すべてをすごいスピードでやってのけてしまっている。それに比べ日本はいまだ、「がれき」の撤去処理すら遅遅として進んでいない。2,252万トンものうず高く積っている東北3県のがれき処理は地元だけでは到底無理なのに、東京都などわずかな自治体が協力しているだけで、大半の自治体が悪しき住民パワーのエゴにあって、受け入れていない。あれだけ叫んでいる「絆」の1文字は、実際はこれほど色あせている。まさに「政府が弱くて、住民エゴの強い国・ニッポン」の象徴的な姿が、あのがれきの山なのだろう。

 われわれ一行は、四川省の北端にある、古都・西安に抜ける山岳地帯の都市、広元(ひろげん)市政府の幹部とも交流した。ここは三国志の舞台となった諸葛孔明が北伐の拠点として、魏の大軍を迎え撃った「剣門関蜀道」の地として有名で、今では人口300万人を擁し、温泉ホテルの開発など6つの重点都市開発プロジェクトを推進中で、外国資本の進出を期待していた。四川大地震の被害も大きく、「2つの山が動いて1つに合体してしまった」ほどだが、「浙江省などからの支援で、6,200件もの復興プロジェクトを達成し、880の学校を再建したが、今もって危ない家屋・学校も多い」という。

中国は、これからが巨大な消費市場として成長

 成都に戻り、浅草・仲見世通りに似た古くて長い(350m)街並みを残す「錦里」街区や、清朝時代の旗本兵士の駐在した歴史的建築物が完全に保存された3つの街区からなる「寛サク巷子」の観光スポットを視察し、ピリ辛の麻婆豆腐の元祖の「陳麻婆豆腐店」に舌鼓を打ってホテルに戻ったら、エントランスのエレベータ前に、「尊敬的客人:停電通知」のつい立てがたっており、ほろ酔い気分が一気に吹っ飛んだ。読めば、真夜中の停電だったので、ひと安心した。

 帰途、上海に立ち寄り、現地の中国人経営者数人と旧交を温めたが、「中国はGDPで日本を抜いたとはいえ、国民水準を見ても実態はまだまだ発展途上国。これから巨大な消費市場を形成していくので、マーケットは、クルマでもデンキでもいくらでもある」と鼻息は荒い。しかし、重慶事件など現下の政治状況については、すべて政治が優先する国だけに、ピリピリだった。

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