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マンションの災害は人の感じ方で違うから対策もそれぞれに異なる:限られた言葉だけで語られる理屈の前にまず多様な事実確認が先〜マンションの災害は日がたつにつれてまだまだ姿を変えていくかもしれない〜

 【2011-04-05:村井忠夫】同じマンションでも、どこで、何をしていたかで感じ方は人の数だけ違う

 4月。あの大震災は先月の話になった。しかし、まだ、とても過去の出来事にはならない。余震はまだ続いているし、福島原発の事故はまだ見通しさえわからない。

 日がたつにつれて、今度の大震災のすごさがほとんどの人にとって今までの災害常識を超えていたことが、実にはっきりしてきた。理屈で語ってきたことが、いざとなるとどうなるかを考え直さざるを得ない機会になった。地震ガ来タラコウシナケレバイケナイなどと何度も何度も聞いてきたことや防災訓練などで教えてもらってきたいろいろなこと、ある程度は自分でも書いたり話したりしてきた最低コレダケハ・・といういくつかのことが震度5で揺さぶられていたあのときに思い浮かんだのは確かだが、正直なところ、それはほんの一瞬だけだった。

 実際には、建築後40年近い11階建てマンションの11階で部屋全体がギシギシ音を立てながら揺れる中で、あわててテレビをつけたのが最初の行動だった。どこかの民放でアナウンサーが『ただいま強い地震がありましたが震度2です』などといっているのを聞いて、ウソつけ、これだけ揺れているのに・・と腹が立って、すぐテレビから視線を離した。とてもテレビを見ていられる状態ではなかったから。

 つけっぱなしのテレビが恐怖感のあふれる大津波の空撮などを伝えていることに気がついたころ、水道がちゃんと出ることを確かめたが、ガスは出ない・・・。

 あの日の、あの時間に経験したあの揺れ方をほかの人は、いったいどう受け止めたのか。しばらくたって管理事務所などに聞いてみると、明らかにフロアごとの違いがあったという予想通りの話だった。同じマンションに住んでいても、何階にいて何をしていたかで、感じ方はまるで違う。それほど揺れない低層階に住んでいる人でも高層ビルの会社にいれば感じ方はまるで違うし、高層階の住人であっても外出して地上にいればまったく別の感じ方になっただろう。

 まして、マンションは大きい。構造も複雑だ。ほとんどの人は、自分の住む住戸のことだけしか知らない。同じ震度5の地震でも受け止め方がまるで違う。新しいマンションと古いマンションでも異なる。夜と昼でも、違う。マンションの周辺のことになると、もっとわからないことが多くなる。

 災害には、間違いなく個人レベルの感覚差がある。だから、災害のイメージは事実上そうした個人経験によって語られることになる。その結果、同じ災害をめぐる意見ノ違いを反映する仕組みが、マンションでは管理組合の仕組みにあるのだろうか・・・。

廣田信子さんから浦安のことを聞くまで液状化の実情は認識不足だった

 そんなことを考えていたとき、マンションコミュニテイ研究会代表の廣田信子さんのメールが届いた。廣田さんとはマンション管理センターにいた時にいっしょだった。浦安のマンションにお住まいであることも聞いていた。

 ほかにも旧知の人がいる浦安のマンションには、長い年数を経た民間マンションとだいぶん違う雰囲気があるようだと、ひそかにうらやましく思ったこともある。

 その浦安で、大震災による液状化が起こったと知った。液状化という言葉を知ったのは、40年以上昔だ。1964年(昭和39年)6月の新潟地震で信濃川近くの4階建て鉄筋コンクリートの公営住宅が横倒しになったときである。

 浦安のニュースをみたときは、はじめ、この液状化がマンションにすぐ結びつかなかったことを白状しなければならない。

 だから、廣田さんのメールで実情を知ったときには、いささか盲点を突かれた感じだった。しかし、戸建て住宅で起こることがマンションに限って起こらないはずがないことにすぐ思い当たった。地域という生活次元では一戸建て住宅もマンションも同じなのだから、これは当たり前の話なのだ。地域との接点抜きでマンションに住めるはずがないのだから。

 廣田さんのメールで浦安のマンションが水やトイレに苦しんでいることや敷地内の片付けを住民総出で取りかかったとあるのを、そうだろう、そうだろうとうなずく気分で読んだ。液状化で起こったことはマンションでも戸建て住宅でも変わらないのだから。

 こういうことに、今までのマンション管理常識ではとてもではないが、答は見つからない。

大震災がマンションに落とした影は日数がたつほど色濃くなるのかもしれない

 同じ災害でも、どこで遭遇したかによって認識に個人差があると前から言い続けてきたが、廣田さんのメールで改めて気がついたのは、この《どこで》という言葉の中に地域の広がりが大きな意味を持っている点だった。どんな地域のどんなところで、どんな強さの災害にあったかによって対応策の必要度の感じ方が決まる。

 大したことがないから何にもしないでいいという意見と、放っておけなくて不安だから急いで手を打つべきだという意見が、同じマンションの中で並ぶ。しかし、そういう様々な意見をとりまとめようとして管理組合が物事を決めるとき、頼りになる仕組みは、限られた言葉で書かれたルールの理屈しかない。理屈は間違っていなくても、要するに「これから何をするか」と言うことが誰にも説明抜きでわからなかったら、何も決めたことにはならないのだ。《ただちに健康に支障はないが、飲まない方がいい》といった意味不明の表現法で物事を決めたら、管理組合では間違いなくもめ事の種になる。

 抽象的な言葉であっても誰もが納得する考え方の正当性を支える理屈が大事なのは確かだが、様々な人が住むマンションでは、やはり《目前の事実》がはるかに大きな影響力を持つ。だから、今見えている事実に理屈をどうやって当てはめるかという点が急所になるのだ。そこで、理屈を適用する事実認識の個人差が問題になる。見えている事実だけでなく、今は見えなくてもやがて見えてくるようになる事実をどうとらえるかが、間違いなく大きな意味を持つことになる。

 そう考えると、今まで気がつかなかったが、これからもしかすると・・・・といった問題を、自分の住むマンションに当てはめて考えることは、決して無駄ではあるまい。マンションの外で起こっていることが、うちのマンションの中で起こったらどうなるかを考えても無意味ではあるまい。

 マンションに40年近く住み続けてきた実感で考えると、今までマンション管理の原理原則となってきた考え方だけでは、これから手が打てないことが多くなるのは、もはや間違いない。今度のような災害があったときに、事実を確かめて知らせる役目は誰が持つのか、共用部分が何ともなくても専有部分に放置できない損傷が起こっていないか、必要な共用スペースは確保できているか、長期修繕計画の見直しは5年ごと程度でほんとにいいのか等々、事実の見え方や感じ方で意見の広がりは想像以上の幅にわたりそうだ。

 まだ間に合ううちに議論すれば、対策が考えやすくなる。議論の必要なことが山積していることを痛感するのだが・・・。

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