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そのとき、どこで、何をしていたかで大震災の受け止め方は千差万別:あらためて知るマンション危機管理対策の難しさ〜防災懇親会方式の提案から生まれた反応が教えてくれること〜

 【2011-03-25:村井忠夫】2011年3月11日午後2時46分、どこで何をしていたかで大震災の認識は微妙に異なる。ましてマンションなら・・・

 2011年3月11日・金曜日の午後。マンション11階の自宅で、翌日の「かながわ県央ネット」主催マンション管理セミナーの下調べをしていた。テーマは《管理組合の年度替わり》。テーマに即した資料や新しい情報をそろえ終わると、もう3時が近かった。

 ・・・と思ったころ、強烈な震動がきた。部屋全体が揺れてギシギシと音が鳴り、何かにつかまらずにはいられなかった・・・

 気がつくと、近くにあった花瓶が倒れて横倒しになり、パソコンがもろに水をかぶっていた。あわてて、水をふいた。室内の散乱を片付けて少し落ち着きパソコンにスイッチを入れると、いつもと同じように起動した。やれやれ、よかった!古いパソコンが駄目になり買い換えてからまだ半年足らずだったから、一息ついた。・・・が、違っていた!キーボードがまったくアウトになっていた。
 そのあとのことは、忌々しいから書かない。

 翌日のセミナーは中止になるはずと考えたが、当然電話が通じない。県央ネット向井会長のアドレスを確かめてメールを送信した。こちらはメールのほかFAXも使えるとも。それから、翌週に打ち合わせる約束だった日経BPのM氏にメールで、地震のひどさを考えて予定の打ち合わせはしばらく延期したいとメールを送った。

 あっという間に夕方。それから後のことは、誰もが知っているような経過になった。地震と津波は一応収まったが、余震も福島原発の事故対応もまだいつ終わるともなく続いていて、大震災の実情は今なお現在進行形で展開中だ。事態を過去形で語れる時期は、まだ来ていない。

岩間一昌さんにお見舞いのメールを送ってから、昨日《防災懇親会》方式の反響の連絡があった

 あれから何日も過ぎたが、余震は続くし当日になってみないとわからない計画停電も気になる日々が続く。マンションは停電するとエレベーターが止まるし使えなくなるものが多いが、停電さえなければいつもと変わらない。そんな一応の安心感も、ある日、前触れもなく突然消えてしまう気がかりはいつも頭の片隅にあるが・・・。

 数日過ぎて、このブログに何度もコメントを寄せていただいた岩間一昌さんのことを思い出して、お見舞いのメールを送った。岩間さんのお住まいは超高層マンションである。ずっと気にかかっていたので、少し落ち着いた頃お見舞いのメールを送った。岩間さんからは、かねてから提案している防災懇親会方式が役に立ったと返事があり、それを見てこちらからまたもう一度送信するというやりとりを重ねた。

 そして、昨日、また岩間さんからメールが来た。先日の大震災で岩間さんとやりとりした14名のメールが採録された添付ファイルがついていた。防災懇親会の成功が共通のトピックになっている。読んでみると、それぞれの人が、あの時間に、いろいろな受け止め方をしているのがよくわかってとても興味深い。

 あらためて思ったのだが、3月11日午後2時46分に、どこで何をしていたかで、様々に異なる感想が綴られている。かなり克明にマンションの様子を伝えた人もいるし、会社から4時間がかりの苦労をして帰宅したあとのマンションの状況を書いてきた人もいる。

 岩間さんの防災懇親会という方式に関心を持っていた点は全部の人に共通しているが、実際には、マンションの規模や実情に応じていろいろな方法をとっていたらしい。やはり自分でやってみたことを書いたものほど、強い印象が残る。

 具体的に当てはめて考えると、防災懇親会という方式は一つの方向であって、実際にはマンションごとの建物規模や居住状況、築後年数などの条件でいろいろなケースがあるはずだ。要は、近くの居住者同士の長続きするコミュニケーションを作る方法が大事なのだ。その目的が実現するなら、懇親であろうと何であろうと方法は問われまいし、その形も自由なものであっていいだろう。

 懇親会といった形の組織が管理組合とどういう関係になるのかといった意見が出やすいことは考えられるが、この提案は実質的な人間レベルのコミュニケーション確保の方式なのだ。不動産資産という側面から権利の有無を過剰なほどに重視してマンションが持つ生活基盤としての住宅であることを二義的に考えてきた発想とは、まったく異なる考え方の方式である。

 今度のような大震災が起こった現実を目前にすれば、もう今までの発想によるマンション管理の考え方には一つの見直しの時期が来ていることは明白だ。もし何かが起こったら頼りになる当事者はマンションに住む自分たち自身しかないことを、連日のニュースがまざまざと教えている。

 管理組合が非常事態への当事者能力の弱い組織であるにしても、最終的に当てになるのはその事態に向き合った居住者自身しかいない。自分たちの住むところで何が起こったかという事実を自分の感覚で確かめ、必要な情報の発信と受信が決め手になることを被災地のニュースも伝えている。

 そうした時に存在感を持つ管理組合の実質的構成単位となるのは、不動産資産の所有者である前に、まず生活している居住者だ。普段まったくノータッチの状態でいきなり望ましいコミュニケーションを実現できるはずはないから、何もない平和なときからの接触を考えて「懇親会」という形を考えたのがこの方式だろうが、目的を実現できるならほかの方式でもかまわないはずだ。

 大事なことは、難しい理屈を言わなくても誰もがやれて長続きする方法であること。一年や二年うまくいっても三年目から駄目になったというのでは、意味がない。

 そして、マンションが大きすぎてわかりにくいこと、目に見えない部分が多すぎることを再認識した方式であること。

 今度の大震災では「想定外」という言葉を実によく聞くが、この言葉をいいわけにしないためには想定の限界を尽くすことを考えるしかあるまい。3月11日の経験で次の震災の切迫感はますますリアルになってきたが、専有部分住戸のドアの外側を再確認して、自分のマンションオリジナルの方式を思いめぐらすことが最後の決め手だろう。大きいマンションは大きいなりに、小さいマンションは小さいなりに。新しいマンションは新しさに応じて、古いマンションは古さを見極めながら。

 それを続ければ、防災懇親会は渾身のレベルを超えた防災組織になるだろうし、防災以前のマンション管理そのもの当事者能力を確かなものにするだろう。

 まだまだ、この方式のことを考え続けていきたいと思う。 

■村井忠夫のマンション管理ブログhttp://murai.realestate-jp.com/

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