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森ビル社長交代にみる、街づくりへの想い

  【2011-03-10:太田三津子】3月8日、森ビルの社長交代の記者会見が開かれた。翌日の新聞記事はいずれも「森家以外から初」という点を強調していた。しかし、私はこの社長交代に、森稔氏の街づくりへの想いの強さを見た。

 そう感じた理由は3つある。

 第1は、50歳の辻慎吾氏を選んだことだ。

 先代の森泰吉郎氏は、最後まで社長の座を誰にも譲らなかった。森稔氏は、創業当時から父・泰吉郎氏と共に森ビルの経営に携わり、再開発で陣頭指揮をとってきたが、社長に就任したのはバブル崩壊後の1993年、60歳近くになってからだった。

  厳しい経営環境のなか、社長に就任した森稔氏は貸しビル会社から街づくりの会社へはっきりと舵を切り、「六本木ヒルズ」など、日本を代表するプロジェクトを次々に完成させた。しかし、再開発プロジェクトは完成までに十数年かかる。さらに、出来上がった街の運営は半永久的に続く。誰よりも時間の大切さを痛感していたのは森稔氏であろう。

 ちなみに、森稔氏が提唱する職住近接の街も、通勤時間や移動時間を短縮し、可処分時間を生み出す街である。自身も職住近接を実践し、24時間シームレスな働き方をしてきた。

 街づくりを通じて時間の大切さを知り抜いていたからこそ、ふたまわり以上も若い辻氏を抜擢し、「挑戦する時間」を贈ったのだと思う。

 第2は、語弊があるかもしれないが、森家より街づくりを優先させたことだ。

 最有力候補と見られていた娘婿の森浩生氏は、森稔氏と同じ東大出身で、社内の人望も厚い。次期社長としては、もっとも波風が立たない選択であろう。ただ一点、再開発の現場を実体験していない。

 一方、辻氏は、若い頃から人間の欲望がぶつかり合う生々しい再開発の現場を経験している。そのなかで森ビルの街づくりの遺伝子を埋め込まれてきた。さらに、六本木ヒルズのオープニングを指揮し、タウンマネジメントという新しいビジネスモデルを創り上げる過程で、既成概念を破って新しい仕組みを創るという体験をしている。

 森ビルは、まずトップが先に走り、社員が必死に追いかけるという会社だ。人柄は大分違うが、織田信長を彷彿とさせるやり方である。森稔氏の、理想を実現したいが故の無理難題が、社員を鍛え、異才を引き出してきた。辻氏の才能や手腕もまた、前例も正解もない民間による街の運営という課題を与えられ、それをタウンマネジメントとして確立するなかで開花した感がある。

 森稔氏は、その著書『ヒルズ 挑戦する都市』で、「あなたを都市開発プロジェクトに駆り立てている原動力は何か」と聞かれ、こう答えている。

 「結局、私はいままでの既成概念に挑戦してきたように思います」と。

 だからこそ、森ビルは他のディベロッパーとは異なる街を創り上げることができた。それを引き継いで進化させるには、森ビルの街づくりの遺伝子と既成概念を破る勇気を持ったものでなければならない。想像だが、森稔氏はそう考えたのではないだろうか。

 以前、森氏と親しい伊藤滋教授が、森氏を前に「この人は自分の会社より、街づくりを優先する人だから」と冗談まじりに語ったことがあるが、今回の社長交代を見て合点がいった。そう、森稔氏は、何よりも自身の街づくりを進化させる可能性を優先させたのだ、と。

 第3は、これからは、会長として街づくり構想の浸透に専念すると語っていることだ。

 森氏にとって、今回の社長交代は「街づくりの第一線を退く」ことではなく、「次のステージに入る」ことに他ならない。
 第1ステージは、知識情報社会にふさわしい街づくりの構想づくり。
 第2ステージは、構想を具体化し、多くの人に体感してもらうこと。
 第3ステージは、確立したバーティカルガーデンシティ構想を国内外に広めること。

 会長就任は、この第3ステージであろう。寝ても覚めても頭のなかは街づくりという、この天才が、第3ステージでどんな既成概念を破る挑戦をしていくのか。

 また、「天才の仕事を組織で引き継ぐ」と語る戦略家の新社長がどんな組織改革をし、街づくりと街の運営にどんな進化を加えていくのか。

 少なくとも、森ビルの尖った魅力は次世代に引き継がれそうである。

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