REJAニュースTopへ

日本不動産ジャーナリスト会議(REJA)が提供するニュースサイト

<< 【田中順一郎氏追悼】田中理事長を偲ぶ | 日本不動産ジャーナリスト会議 | 伊能肇氏の中古住宅市場の記事が住宅金融支援機構広報誌に掲載されました >>

関東大震災復興後の明石小など7校の保存を要望―日本建築学会

 【2010-04-16:川上湛永】関東大震災(1923年=大正12年)後に建築された小学校(復興小)で、東京都中央区内の7小学校のうち、90年近い歴史をもつ明石小、明正小、中央小を、区が数年内に解体する方針を打ち出している。これに対し、日本建築学会関東支部(新宮清志支部長)はこのほど、大正から昭和初期の小学校建築の傑作として建築的にも歴史的価値としても残すべきだとして中央区に保存を要望した。
明石小のモダン校舎
<写真>正面の円柱のように柱が印象的な明石小=中央区明石町1丁目で
明正小の校舎
<写真>校舎の角のカーブが美しい明正小の校舎、今も古びない=中央区新川2丁目で
表現主義建築の文化財

 要望書によれば、/椋夘興として、当時の東京市の設計規格は、児童の健康と安全を重視し、良好な教育環境を整えるという高い理想にもとづき、近代建築史、近代教育行政史上、高い価値をもつ校舎の外観は、当時、西欧で流行していた表現主義的なデザインを取り入れ、秀作として評価が高いI興小学校の多くは、地震の際の避難スペースとして、小公園と一体として設計されるなど、震災対策を重視するなど先見性をもっている、として、その保存すべき価値を有していると強調している。

 同区内の復興小で現存するのは、ほかに、阪本、常磐、城東、泰明小がある。

 復興小は、都心区を中心に117校建築されたが、都市計画に組み込まれるなどで、次々と解体され、現存するのは21校。そのうち、7校が中央区にある。区では、明石小、明正小、中央小の3校を、135億円で数年内に取り壊す計画を進めている。

 このうち明石小では、プールなどの解体中で、その後、3階建ての仮校舎を建設する。学区内に超高層マンションが次々建設され、急激な児童増で現在の校舎では手狭になったための解体とされる。

102周年同窓会を開く

 解体前の最後の校舎の記憶をとどめようと、卒業生らで、4月18日に、102周年同窓会が開かれる。「鉄筋コンクリートで、学校がこの辺で一番安全だった。天井も高く、廊下も広く贅沢なつくりだった。残す方法はなかったのか」と卒業生のひとりは懐かしむ。同小は、大正15年竣工で、延べ床面積が4400屬班興小では最大級。

 断面円形の柱形を外部に見せ、その上部のパラペットが美しくカーブを描いて張り出している。復興小の中でも、表現主義的な傾向が顕著な傑作、とされている。道路を隔てて、聖路加国際病院が隣接し、そのため太平洋戦争でも空襲を免れたという。

 明正小は、昭和2年竣工。敷地の3辺を道路に面しており、校舎の角が緩やかに曲面をつくる。正面玄関は交差点に面し、東西に校舎が広がる。復興小の特徴である、小公園(越前堀公園)が、道路を隔てて隣接する。泰明小も数寄屋橋公園と隣接し、校舎と公園がつながっている。解体が予定されている中央小も、鉄砲洲公園に面している。

 中央区内の7小を調査した、建築学会関東支部建築歴史・意匠専門研究委員会の山崎鯛介氏は、見解を発表している。

 それによると、震災後、短期間で東京市は設計規格をまとめ、117校の復興小に例外なく適用させた。児童の健康を重視し、採光・通風のため窓面積を大きくし、室内換気を配慮して天井を高くした。当時、まだ普及していなかった鉄筋コンクリ−ト造という最新の構造を採用した点でも先進的だった。復興というと場当たり的な手法をとりがちだが、表現主義という当時最新のデザインを取り入れ、建築的な質を高め、都市景観上でも高い評価ができる、としている。

この記事に対するコメント

コメントする









この記事のトラックバックURL
http://news.realestate-jp.com/trackback/1344270
この記事に対するトラックバック




お問い合わせメールフォーム