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【田中順一郎氏追悼】田中理事長を偲ぶ

 【2010-02-17:松本隆正(元不動産協会常務理事)】田中さんが不動産協会理事長に就任されたのは、同氏が実行委員長として主宰された世界不動産連盟世界総会東京大会が開催された1996年の秋であった。同年7月に前理事長の坪井さんが急逝され、暫くの間住友不動産の高城社長(当時、故人)が理事長代行を務められたが、政府予算や税制に関する政策活動が本格化する年末に向けて正規の理事長選任の要請が高まり、第3代の理事長に就任された。
 当時の不動産業界はバブル崩壊後の後遺症に煽られ、企業の業績不振が続いた。不動産協会においても金融・建設業関連を中心に会員企業の整理統合が進む一方、バブル退治として実施された土地政策が継続しており、団体としての活動・運営の行方に腐心を続けていた時期であった。

 田中さんは実践・実行力に富んだリーダーだった。出来ることは何にでも正面から立ち向かわれ、また出来る範囲を常に拡げる気概をお持ちだった。不動産協会における活動は本当に目覚しい。理事長就任以前に運営委員会の委員長時代に「不動産業の20世紀ビジョン」の取り纏め、対外広報誌「FORE」の創刊やジャーナリストや有識者からの公聴などを進められたが、理事長になられてからは就任直後の一大事であった政府の「新総合土地政策」策定(1997年)、地価税凍結などの抜本的土地税制見直し(1998年)などの土地政策是正に懸命に取り組まれ、一方(社)日本高層住宅協会との合併(2001年)、不動産団体連絡会の設立(1999年、後に不動産団体連合会に発展)など不動産業界の合理化や協調体制の確立に尽力された。世界最大の国際的不動産団体である世界不動産連盟の世界会長(1999〜2000年)を務められるなど国際活動にも貢献された。

 顧みると、これらのご功績は、勿論ご自身の気概と努力の賜物であるが、周りの人達に信頼と親近を与える氏の人柄に拠るところが大きかったように思う。かつて、先々代の江戸英雄理事長への記者取材に同席した際のことだった。記者の「後継トップを選ぶ基準は何ですか」との問いに対する江戸さんの答えは「人柄だよ。田中君は良いだろ。」だった。

 田中さんのお人柄は特にその気配りに顕れていた。不動産業界最長老の安藤太郎さんも一目を置かれていたし、野呂田芳成さんや故・坂野重信さんなどの国会議員、住宅生産団体連合会の山口信夫さんや全宅連会長の藤田和夫さんをはじめとする業界団体のトップの厚い信頼を得られて、正に業界トップリーダーとして十分な活動を果たされた。また、ジャーナリストに対しても正面から議論を行われる一方、求めに応じてゴルフや懇親パーティにも良く付き合われた。不動産協会事務局の私達に対しても厳しく指導される一方で、私達スタッフの意見にも真剣に耳を傾けられた。私自身も二度に亘って意見書を出させていただいたが、その都度氏の誠意あふれる対応に感動を覚えたものだった。

 これまで書いてきた田中さんの不動産協会理事長としての活動については、その一つ一つにドラマがあり、とても書き尽くせない。私自身の至らなさも幾度カバーしていただいたことか。いつの日かこれらのことをご一緒に思い返しながら感慨を覚える機会があればと思っていただけに、早すぎるご逝去が無念でならない。田中さんが本当に献身的に当たられた奥様の目の治療、ご自身の通風、慢性的腰痛や硬膜下血腫手術などで病気には人一倍に気を付けておられたことを思うにつけ悔しい思いさえするのだが、長い闘病を終えられて、今は江戸さん、坪井さん、高城さん達にも会われていることと思えるのが慰めである。合掌。

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