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【田中順一郎氏追悼】駆け出し記者と田中さん

 【2010-02−16:住宅・不動産ジャーナリスト・目黒孝一】2008年4月に開催された『不動産経営者講座』で田中さんは、「“都市再生”はまだ緒についたばかり、外需頼みの日本経済は限界にきている。今こそ内需拡大を強力に推進していくべきだ」と、この講座で長く基調講演を務めてきた最終講演を締めくくった。今改めてこれまでの講演録を読み返してみると、田中さんは常に不動産業の重要性と発展性を先見され、その時代を見据えた不動産業ビジョンを必ず語っていた。とくに都市再生を語る時は情熱的で、誰にでも説得的であろうとするトップの気概を感じる。
 田中さんとの出会いは、もう40年も前になる。不動産経済通信の駆け出し記者として先輩に連れられて、「将来社長になる人だから」と三井不動産で最初に紹介されたのが田中さんである。当時の住宅部は部に昇格したばかりで、とにかく活気に満ちあふれていた。沼田部長、岡田次長、田中課長の布陣で、「上尾方式」と呼ばれた戸建住宅事業を岡田さんが担当し、田中さんは日本初の超高層マンションとなる「三田綱町パーク・マンション」などを手掛けていた。

 とにかく当時も田中さんは大変忙しく動いていた。週に2、3回は総務部に顔を出して“三井牛乳”をご馳走になった後、住宅部や企画部を覗くのだが、アポなしで伺うのだから田中さんは不在の時が多かった。それでも在席の時は、「また来たのか」と言っては暖かく歓迎してくれた。霞が関ビルのこと、パークマンションのことなど、熱っぽく語ってくれた。当時“人の三井・組織の三菱”と言われていたが、田中さんは人間的にも幅が広く、まさに「人の三井」そのもののような方という印象を強く受けた。

 田中さんにはこれからも多くのことをご教示頂きかった。今となってはもう叶わぬことだが、残念でならない。フリーのジャーナリストになったとご報告したのが最後になったが、多くの励ましのほか、「角田さん(不動産経済研究所社長)とはうまくやっていけよ」など、貴重なサジェッションも頂いた。ただ感謝するばかりである。心よりご冥福をお祈りします。

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