REJAニュースTopへ

日本不動産ジャーナリスト会議(REJA)が提供するニュースサイト

<< 【田中順一郎氏追悼】田中智子様(順一郎さんのご令室) | 日本不動産ジャーナリスト会議 | 【田中順一郎氏追悼】実力と人望の“あったか経営者”田中さんを偲んで >>

【田中順一郎氏追悼】貧して鈍して、鈍して窮す。窮すれば通ず。――田中さん、見事な経営者でありました。

 【2010-02-02:住宅・不動産ジャーナリスト・伊能肇】田中順一郎常任相談役は、三井不動産のトップ経営者の中で、在任期間中、最も激しい“天国”と“地獄”の事業環境に晒され、そうした環境に“慢心すること”も“めげること”も“臆すること”もなく次世代にバトンタッチした見事な経営者でした。
 1987年社長に就任された頃、地価上昇と国土法での土地取引規制はあったものの、不動産・住宅業界は「明日の成長」が信じられる時代にありました。ところが、社長就任後2年目の89年11月に思いもかけないことが起ります。東西ドイツを分断していた“ベルリンの壁”が崩れ落ちたのです。今となっては、あの東西冷戦の終焉が現代のグローバル化の最初の1歩となったのではないかと思い当たりはするのですが、当時は誰もそんなことには思いも到りません。多くの市民は“核戦争という恐怖からの開放”を心の底から喜んだのが正直な想いだったはずです。

 ですが、経済の世界は違いました。とりわけ、高度な成熟社会にあった日本経済は、世界からの激しい投資に見舞われます。不動産業界、とりもなおさず土地資産には異常な投資が発生し、当時の田中社長も恐らくそうした火の粉を払うのに躍起だったのではありますまいか。92年土地バブルは崩壊します。それは、長くて苦しい“資産デフレ”の始まりでした。先輩や同僚、後輩達が作り上げてきた資産の“仕分け”を手がけなければ、企業が立ち行かないところまで追い込まれます。役員会で『事業資産の洗い変えをやらせて欲しい』と自ら頭を下げたと聞きます。経営者・田中順一郎さんの心境は如何ばかりだったでしょうか。

 97年、日本では名だたる証券会社、金融機関が相次ぎ消滅します。資産デフレを背景にした金融恐慌です。すでに手当てを済ませていた三井不動産は立ち直りに向けて動き始めます。翌年、田中さんは会長に就任し、業界の事業環境を取り巻く制度インフラの改善と取り組むことになります。そして、それは着実に実を結びます。田中さんがある随筆に書いた一文です。「貧して鈍して、鈍して窮す。窮すれば通ず」。優しくて腹の据わった田中さんに不動産ジャーナリスト会議は本当にお世話になりました。心の底から感謝し、ご冥福を祈ります。

この記事に対するコメント

コメントする









この記事のトラックバックURL
http://news.realestate-jp.com/trackback/1317659
この記事に対するトラックバック




お問い合わせメールフォーム